【八重山の音楽の原点“八重山民謡”】
八重山の音楽文化の背景には、長い歴史の中で歌い継がれてきた「八重山民謡」の存在があります。
遠い昔、島の人々は畑作業に向かう道中や田植えの作業中に手拍子を叩き、掛け合いの歌を歌いながら日々の労働を乗り越えた時代がありました。
その時に歌われた「ユンタ」や「ジラバ」と呼ばれる歌が、現在継承されている八重山民謡のはじまりだと言われています。
沖縄音楽と聞くと三線の音色をイメージすると思いますが、「ユンタ」や「ジラバ」は手拍子と歌声だけ。
のちに三線や太鼓などの伴奏がつき、<○○節>と呼ばれる節歌(ふしうた)が誕生しました。
八重山方言は今では日常であまり聞くことのない希少言語で、ユネスコが発表した世界中の消滅危機言語の中でも“重大な危険”の状況にあると指定されています。
そのため八重山方言でうたわれる八重山民謡は、聞いただけや文字を見たところで内容の理解が困難ですが、紐解いていくと当時の島の情景や歴史的背景、その時代の生活習慣や価値観を読み取ることができます。
宮廷音楽が派生したものが多いとされる沖縄本島の民謡に比べ、暮らしの中で歌う労働歌、祭祀や神行事で奉納として歌われたものが多いのが八重山民謡の特徴です。
【現代社会における八重山民謡】
現代においても島を代表する文化として根強く残る八重山民謡。
各地域の公民館や青年会などの地域コミュニティは、祭祀や神行事とともにその地域の民謡や踊りの継承に取り組み、教育現場においては八重山民謡に関する授業や「郷土芸能部」があるなど、今の時代においても八重山民謡は人々の生活に寄り添っていることが分かります。
また各地域に伝わる民謡とは別で、八重山古典民謡の唄い手を育成する研究所が全国でおよそ300程度存在し、多くの方々が日々八重山民謡の唄い手として励んでいます。太鼓や笛も同様にそれぞれ研究所が存在します。
現在では三線の楽譜ともいえる工工四(クンクンシー)の違いでいくつかの流派が発足されており、研究所はそれぞれの会に所属しています。
<八重山古典民謡の流派>
- 八重山古典音楽協会安室流保存会
- 八重山古典音楽協会安室流協和会
- 八重山古典音楽協会大浜用能流保存会
- 八重山古典民謡保存会
八重山民謡という独自の文化を守り継承するためにも、後継者を絶やさぬよう、時代の流れに合った仕組みづくりが必要とされています
【広がる島の音楽文化】
そんな大自然と音楽が古くから根付くこの八重山諸島からは、数多くの音楽アーティストが誕生しています。
そのジャンルや活動拠点は様々ですが、彼らの活躍により八重山の音楽文化への注目は年々高まりつつあります。
島内に注目してみると、仕事をする傍らで音楽活動を展開する人も多く
昼間はそれぞれ異なる仕事をしている仲間達が、夜にはミュージシャンの顔でライブハウスで演奏するというのは、ここ八重山では当たり前のように見られる光景です。
このような音楽アーティストたちのライブや、気軽に観光客も楽しめるライブ居酒屋での民謡ライブなど、毎日島のどこかでは音楽イベントが開催されています。
2017年7月に開催された石垣市制施行70周年記念事業『島人カーニバル』では、
全国で活躍する島出身アーティストが石垣島に一同し、会場を盛り上げました。
八重山民謡やポピュラーミュージックなどジャンルの垣根を越え、島に根付く音楽文化を人々が再認識するきっかけとなりました。
今後も広がりを見せ続ける八重山の音楽文化は、島の人々の誇りであると同時に未来をつくる子どもたちにとっても重要な位置付けにあります。
毎年全国大会で好成績を収めるマーチングバンドやカラーガード、郷土芸能などの部活動や、
バンドや弾き語り、DJやラップなど高校生の間でさかんになっている音楽活動、
すでに彼らの日常生活には音楽文化が根付いており、またそこからたくさんの刺激や学びを得て人としての成長へと繋がっています。
かつて手拍子と歌声だけで始まったこの八重山の音楽は、形を変えながらも人々の生活を支え続けてきました。
これからも、海や山などの大自然と共に、八重山の魅力として未来へと続いていくことでしょう。
Music culture of Yayema
The birth of the Yaeyama folk music
The origin of Music Culture of Yaeyama is the existence of Yaeyma folk music. “Yunta” and “Jiraba” is said to be the beginning of the history of Yaeyama folk music. In old times, people of Yaeyama were singing Yunta and Jiraba with a hand clapping on the way to a farmwork, and even during rice-planting.It is called Fushiuta, when people sing Yunta and Jiraba with the Sanshin and the Taiko (drum) accompaniments. Many of the Yaeyama folk music are singing about the history and life of Yaeyama. In daily life, people were singing song about a prayer, a celebration, a gratitude, a message of love and a taught from parents.
Yaeyama folk music in modern society
Even today, Yaeyama folk music is indispensable for sacred events and celebrations events. And also, Children have the opportunity to learn, listen, singing, and experience Yaeyama folk music in their school life. There is more than 300 training-school (branches) of Yaeyama folk music which is doing upbringing of Yaeyama folk music singer. All the training-schools are belongs to different branches depends on a type of musical scores.
- Yaeyama Traditional Music Association -Amuro-ryu Preservation Society
- Yaeyama Traditional Music Association – Amuro-ryu Association
- Yaeyama Traditional Music Association – Ohama Yono-ryu Preservation Society
- Yaeyama Traditional Folk Music Preservation Society
Yaeyama folk music is not only about Sanshin but also there are other instruments.
There are also different schools for each Taiko (drum) and Fue (bamboo flute).
Broaden the island music culture
Currently, there are lots of musicians originally from Yaeyama, and they are in a different genres and different places. In Yaeyama islands, most people of all ages are living life with enjoying music, so the music is irreplaceable for life of Yaeyama. Number of concerts which held in either both a small music club and a large concert hall, are increasing in Yaeyama.
Even a tourist has opportunity to experience a Yaeyama folk music with sound of sanshin and other instruments, through the live izakaya where you can enjoy food and music together.
The fascination of Yaeyama’s music will keep continuing from now on.