宮良 長克 (みやら ながよし)

生まれ年:1958年
出身地:石垣市新川
在住地:石垣市新川
所属:八重山古典音楽安室流協和会
研究所名:宮良長克研究所

平成18年(2006年)2月 八重山古典音楽安室流協和会 師範免許取得
平成27年(2015年)6月 沖縄県指定無形文化財八重山古典民謡保持者認定

【受賞歴】

昭和63年(1988年)9月 八重山古典音楽協会コンクール最高賞受賞

 

Q1. 出身地は?

石垣市新川になります。実家は2号線の下の方になりますね。

 

Q2. 家族構成や兄弟数など幼少の頃のお話を聞かせてもらえますか?

私は男3人、女2人の5名兄妹の一番下で三男になります。なので、兄が2人、姉が2人いますね。一番上の兄貴とは10歳違い。祖父は亡くなっていたので、祖母と両親、そして兄妹の8人家族でした。みやまえ幼稚園から石垣小学校に入学して、小学5年生の時に、石垣小学校と新川小学校に分離して、新川小学校の1期生でした。ですが、まだ新川小学校の校舎が完成していなかったので、石垣小学校の校内で、「こっちの校舎は新川小学校の教室」と分けられていたので、6年生まで石垣小学校の校舎に通い続けていました。卒業式だけは、新川小学校の校庭でやってもらいましたけど(笑)まだ体育館も完成していなかったのでね。僕ら新川小学校1期生は新川小学校の校舎に通うことは一度も無かったですよ。卒業アルバムを受け取りに行った時に初めて新川小学校に行ったような感じでしたよ。石垣小学校は昨年140周年、新川小学校は51周年でした。石垣と新川と広い校区だったのでとにかく生徒は多かったですね。その後は石垣中学校、八重山農林高校と続きます。

 

Q3. 幼少の頃の八重山民謡との接点はどうでしたか?

親父が安室流協和会の師範:宮良長定。母:善子は琴の教師・師範でもありました。親父が本格的に自宅で研究所を始めたのは私が小学校高学年の頃でしたが、勿論その前から、親父はずっと唄三線はやってましたから、いつも家の中には、親父の民謡が流れていましたし、自然に、色んな民謡を聴けている状態でしたね。なので、一番座に置いてある親父の三線を、いじりことはありました。親父の三線教室は、多い時で7・8名ぐらいの生徒が夜8時から10時くらいの2時間、一番座で週3回くらいやってましたね。また、お祝いの席での地謡とかに出かけていく親父がお土産で持って帰ってくるお菓子やの祝賀の折り弁当を食べるのが楽しみでしたね。

 

Q4. 本格的に三線を弾くようになったのは?

小学・中学時代はほとんど三線を弾くことなく過ごしていたのですが高校に入学すると、ずっと親父の唄三線を聴いて来てるし、三線も弄っていた事もあり、先輩か知り合いに誘われて郷土芸能部に入部しました。そこで、本格的に三線を弾き始めましたね。家にある親父の三線を借りてました。今程、農高郷芸部も盛んな活動があったわけではありませんが、毎日練習があり、踊りの地謡をメインにして、発表会を当時の文館(文化会館)でやった記憶があります。部活動の中で唄三線のキャリアがスタートした感じですね。

私が20歳の頃、古典音楽協会がコンクールを始めることになり、どうせなら「新人賞」に出てみないか?とたぶん親父に誘われたと思います。そこから、親父に正式に手ほどきを受けることになり、師事するカタチになりましたね。第1回目のコンクールで無事に新人賞を頂いきました。親父は、「優秀賞」「最高賞」も早く受けなさいと言われましたけど、「いや、まだいいよ」と断り続けてましたね。

新川字会の青年会の先輩に誘われて、アンガマーの地謡を務めることになり、この時初めて地域の字会活動に関わることになりましたね。

結局、兄妹の中で唄三線をやってきたのは一番末っ子の私だけでしたね。

 

Q5. 一番最初の三線と、今一番メインで使われてる三線について

引き始めの頃は、家に親父の三線が何本もあったので、その都度、借りてる感じかな。今メインで使っている三線は今太鼓が破けて、本島の方の三線店に修理に出しているところです。残念ながらお見せ出来ないけど申し訳ない。私が幼い頃、今の裁判所の前に「慶世村三線店」があったんですよ。親父たちの三線はそこに修理を頼んでいましたね。残念ながら今は無くなってしまい、本島の三線店にお願いしています。

 

Q6. 思い出のステージは?

勿論、協和会でのステージや色々な舞踊研究所(特に登野城米子舞踊研究所や親父が元気な頃は新井ミチ舞踊研究所など)の地謡など、親父と共に沢山のステージで演奏させて頂きましたが、やはり一番のステージは、平成9年(1997年)10月石垣市民会館大ホールでの親父:『宮良長定 藝歴50周年記念発表会』になりますかね。座開きで、「揚古見の浦節・諸見里節」を「上原ぬ島節・でんさ節」などを親父(唄三線)と母親(琴)と親子共演させて貰いました。ステージ中央に親父、上側に私、下側に赤い台の上に座って、演奏したのですが、いつも親父から唄三線を一緒に演奏する時は、演者は出来るだけ近くで演奏した方が良いと言っていたので「この距離だと相手の音が聴こえない」と言われてね。「モニタースピーカーで聴こえるようにするよ」と親父をなだめながら歌いましたね。(笑)

親父と一緒に歌い三線の音を合わせて来たことで、具体的に「何」とは言えないですけど、親子で大事な時間を過ごせたように思います。

 

Q7. 長克先生の好きな曲は?

なにがあるかな。改めてそういう曲あるか?と聞かれて考えてみたこともなかったな(笑)強いて挙がるなら・・・「しょんかね節」かな。

Q8. 最後に長克先生にとって八重山の謡(うた)とは?

親父が唄者だったのでね。とにかく私の生活の中も含め、すぐ傍に、自然に存在しているモノが八重山の謡ですかね。逆に言えば、八重山の謡が、私にとっては親父を感じるモノなのかもしれないですね。

親父からは「歌詞の発音をしっかり丁寧に歌いなさい」が一番の教えでした。

 

平成9年10月。宮良長定藝歴50周年記念発表会謡心@石垣市民会館大ホール

平成9年10月。宮良長定藝歴50周年記念発表会謡心@石垣市民会館大ホール

平成9年10月。宮良長定藝歴50周年記念発表会謡心@石垣市民会館大ホール