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[ レポート ] 音楽民族 + SESSIONS 2024 part2

令和6年12月8日、石垣市民会館中ホールにて「令和6年度ユネスコ音楽創造都市ISHIGAKI推進フォーラム  音楽民族+SESSIONS 2024 part2」が開催されました。八重山の音楽文化におけるキーマンやアーティストを招いて、島の音楽文化を様々な角度から語り合う本イベントも、今回で第3弾となりました。

 

<Session1 「唄の島、音楽の島になる為に〜音楽創造都市に向けて〜」

【パネリスト】
・大田 静男 (八重山芸能文化研究者)
・上地 里佳 ((公財)沖縄県文化振興会 沖縄アーツカウンシル)
・玉盛 邦則 (トランぺッター/プロデューサー)

【コーディネーター】
・伊良皆 誠
・ケンヤ・マルセイユ

音楽民族SESSION+ 2023では、現代における八重山民謡の実情を流派の違いや歴史について、そして続く今年2月に行われた音楽民族SESSION+2024では、八重山民謡の原点としての「じらば」や「ゆんた」などの「地域」としての歌についてゲストを招きトークセッションを行いました。

今回は、いよいよ「音楽創造都市」へと向けた具体的な課題やビジョンについて考えることが目的にトークが進められました。

まず、石垣市の音楽創造都市としての素質を語りながらも、同時に顕著に存在する後継者問題を取り上げた大田静男氏は、学校を作って欲しいとずっと思っていると胸の内を語りました。華やかに見える伝統芸能の世界でも、蓋を開けてみると研究所の生徒数減少や、後継者不足などが根付いており、それらの問題をさらに真剣にとらえ、どのように来世に残していくか、またそれを全員で議論することが大事だと訴えました。

トランペッターでありプロデューサーでもある玉盛邦則氏が第一声にマイクを通したのは、「音楽は、住んでみないとわからない」という言葉。竹富島にルーツを持ち、八重山にやってきた玉盛氏。島に住んでみて、音楽に携わる子どもたちが八重山には多くかつそのポテンシャルの高さを評価しました。自分たちの中に隠れている、世代にはとらわれない、自分たち自身の音楽にポテンシャルをもっと感じれるような仕組みや取り組みを起こすことの重要さを訴え、加えてその先に初めて「音楽創造都市への認定」があるというように、ことが起きる順番や目的と手段の見誤りが起きないようにすることの大切さを述べました。

 

それにはコーディネーターの伊良皆氏も賛同し、認定のために動くのではなく、より本質としての「島の音楽のこれから」を永く支えるような取り組みの先に、音楽創造都市としての認定があるという根本的な順序をずらすことはできないと再度強調しました。

 

上地氏は、持続可能な活動に対する資金の必要についてのべ、沖縄アーツカウンシルの仕組みや、活用事例について発言し、その中で沖縄の文化芸術を支えるひとつの手段として、沖縄タイムスに掲載された記事「文化芸術政策 県への提言」(2024年10月8日掲載)に触れながら「宿泊税」の可能性について共有しました。観光立県である沖縄として、より公共の力で持続可能な資金を得るこれらの仕組みは非常に可能性があると述べ、またアドバイザーとしても関わる大田氏も、音楽に関わらず何か表現活動・芸能活動をする上での資金繰りの手段として、沖縄アーツカウンシルの利用を推奨しました。

 

<Session2 八重山唄者の世界~真の八重山の謡を追い求めて~ >

【八重山唄者】
・金城 弘美
・岡山 創
・比屋根 祐
・前津 伸弥

【コーディネーター】
・宮良 正行

小学6年生の頃に同級生の三線教室に着いて行ったことがきっかけで三線を始めたという金城氏。前津氏は、大浜青年会での活動の中で民謡に触れることが増え、子育てのターニングポイントをきっかけに三線をスタート。小学4年生の頃に習い始め、登野城青年会での地域活動で民謡とのつながりを深めてきた比屋根氏。同じく小学4年生の頃に参加した三線クラブをきっかけに本格的に習い始め、高校生でも郷土芸能部に参加するなど自身の郷土への関心を深めてきた岡山氏。

Session2では、以上4名の唄者によるクロストークが行われ、自分自身が弟子として民謡に触れていた頃の話や、教師免許をとり「民謡を教える」という立場にもある今だからこそ話せる、唄に対する解釈の難しさや人間性の必要について盛り上がりました。

八重山民謡に対して感じる特徴や魅力の話題では、歌声や演奏も交えながら、それぞれの観点から感じる歌詞の魅力や師匠との思い出、好みのメロディや好きなアレンジについて賑わいました。来場者には八重山民謡界の“師匠”と呼ばれる方々もいたとのことで「先生もいるから、緊張する」と4人が発言すると会場からは笑いが起こりました。

また、市民からの質問として歌い方の質問がくると、丁寧なアドバイスをする場面も。これまでの2回の音楽民族SESSIONSにはなかったような、唄や演奏の具体的な技法についてという、非常に貴重な話題も。また、金城氏は「先人たちの歌声にいつまでも追いつけない。追いつけないからこそ練習をする。その追いつけないという思いこそが、島らしさを見失わないために必要。」と述べ、そのひたむきな島の歌への向き合う姿勢に関心の頷きが多くみられました。

音楽民族SESSIONS+にもたせるメッセージや構成を、ユネスコ創造都市推進協議会の中心に居ながら考え続けてきた宮良氏は、八重山の歌には先人の全てが入っていることを述べ、そんな“歌の中にある八重山”を追い続けるということが島の唄者の活動の本質であると述べ、「僕らにはまだまだ知らないことがあります。たくさんのことを学びながら、「考える」ということを続けていきたい」とまとめました。

最後には、上記唄者4名生演奏による「八重山育ち(伊波南哲作詞、大浜津呂作曲)が披露されました。まさに八重山育ちの4人の唄者による演奏に、会場は大きな拍手に包まれ、そのまま4人は八重山の代表的な祝宴の歌「弥勒節」でエンディングを迎えました。

 

これまで3回に渡り、開催されてきた音楽民族SESSIONS+。島の音楽の本質的な部分に触れ、思考を巡らせることができる、このような時間が、形を変えながらでも今後も場として開かれることを楽しみにしています。

 

音楽民族では、この八重山の音楽の魅力をさらに深く広く伝え続けていきます。