映画「タイタニック」から紐解く故郷への想い

dublin temple bar street

 小学生の時に見た世界地図は広かった。とてつもなく広くてワクワクした。社会の地理の時間には、授業そっちのけで、奇妙な国名、果てしなく遠い国(実際には地球は丸いので最果てなんて存在しないのだが)、小さな国、テレビや雑誌で取り上げられたような国々(「ウルルン滞在記」や「世界不思議発見」など)を探しては、まだ見ぬ世界への憧れと想像力で胸が躍ったものである。

 そんな僕が、世界の国々や民族音楽に対する興味や関心が一層深まるきっかけとなったのは、1997年に公開され、世界的な大ヒットを記録したと映画「タイタニック」である。(2023年現在、初公開から25周年を迎え、リマスター上映され、リバイバルブーム真っ只中)

 この映画は、イギリスのサウサンプトン港からアメリカ合衆国へと向かう途中で沈没したタイタニック号と、階級や生まれの違う男女のラブロマンスを絡めた壮大なパニック映画である。(ウィキペディアでは「叙事詩的災害ロマンス映画」と表現されているが)当時高校1年生だった僕は、あるシーンに全神経を奪われた。

 そのワンシーンとは、映画史に残る船首でのヒロインのローズが「私、飛んでいるわ」と叫ぶ有名なロマンティックなシーンではなく、主人公のジャックとローズが三等船室内のレストランで軽やかに踊っていたシーンである。一等船室では豪華で華やかな雰囲気の中、クラシック音楽やワルツが流れていたのだが、三等船室で繰り広げられたのは陽気なアイリッシュ・ミュージック(アイルランド音楽)に合わせて陽気に踊る庶民の姿だった。フィドル(=バイオリン。アイリッシュ・ミュージックやカントリーやブルーズを演奏する際にはこう呼ばれている)を弾き鳴らす姿や、その陽気でダンサブルな音楽をバックに陽気に踊る主人公二人のとても楽しそうなシーンに心を奪われた。よくある言い回しだが、何らかの音楽に心を奪われ、人生の可能性を感じたという感覚がまさにそれだったように思える。

 そもそもアイリッシュ・ミュージックとは何か、という点についても触れておきたいと思う。アイリッシュ・ミュージックとは、聞き覚えによって人から人へと伝えられてきたアイルランドの歌とダンスの音楽は、いわゆる口頭伝承によって育まれてきた民族音楽のことである。

 では、なぜ僕はそのアイリッシュ・ミュージックに心を奪われ、ローズやジャックと同じ様に大海原に想いを馳せたのだろうか。それは不確かではあるが、民族音楽特有のアイデンティティに心を揺さぶられたからなのだと思う。

 民族音楽というのは、アイリッシュ・ミュージックに限らず、基本的には全て口頭伝承音楽である。そして、そのほとんどは、労働歌や土地の神々や先祖に捧げる祈りの歌である。労働歌の場合、漁師は船を漕ぐリズムで、農家は田畑を耕すリズムで、木こりは斧を振り下ろすリズムで歌い継いできた。僕が生まれ育ち、今も暮らしているここ八重山諸島にも、古謡の一つであるユンタジラバという労働歌が伝えられている。(ユンタジラバについての詳しい解説は割愛するが、大工哲弘さんによりCD等の音源化もされている)

「大工哲弘/ゆんた とぅ じらば(1992)」
https://daiku-tetsuhiro.com/127/

 そして、残り半分は祈りの歌である。それぞれの地域の伝統行事や冠婚葬祭で歌われてきた音楽であり、その土地の持つ風習や文化を歌や踊りで表現し、労働歌同様に語り継がれてきた。これらの音楽は、その土地の神々や先祖に捧げるだけでなく、生死の節目や五穀豊穣を祈るため、時には干ばつや天変地異を鎮めるためにも、神様に捧げられている。こうした文化的要素からなる土地の音楽文化は、連綿として続いている。

 民族音楽には、こうした文化的なアイデンティティがあると感じている。それは、土地に根ざした自己回帰へのアプローチなのである。

 映画「タイタニック」が上映されていた当時、高校一年生だった僕は、島を離れて沖縄本島の高校へと進学していたのだが、親元を離れての暮らしや、同じ沖縄県内とはいえ、言葉のイントネーションの違い、未だ不慣れな生活に伴う不安からくるストレスなどから、故郷への想いが殊更に強くなっていた時期なのかもしれない。それが、劇中でのアイリッシュ・ミュージックの陽気さやノスタルジーに心を惹かれ、故郷への想いがより強まる中、自分自身のアイデンティティというものを強く意識し、それがより心に深く刻み込まれたのかもしれない。

 実はもう一点、今でもアイリッシュ・ミュージックに魅了されている大きな理由がある。それは、沖縄とアイルランドの類似点があるからである。歴史的背景を辿ると、琉球王国の時代から、沖縄の歴史は島国であるが故に、常に大国からの軋轢や侵略による抑圧されてきた時代があった。同様の負の歴史が、アイルランドとイングランドをはじめとする周辺諸国との間にも存在している。また、日本復帰前後の沖縄差別と同じように、アメリカ大陸へと渡ったアイルランド人移民も同様の差別を受けていたと言われている。世俗的な共通点としては、時間にルーズなところや酒好き、女性は働き者で男性は怠け者といった男女の関係性についての例えも非常によく似ていると言われている。

 沖縄とアイルランドの共通点については様々な方々が述べているが、特に沖縄出身のイギリス文学及びアイルランド文学研究者で、琉球大学名誉教授であった故米須興文氏の著『文化的アイデンティティの試練〜アイルランドと沖縄の経験〜』は、学術的な側面から沖縄とアイルランドの共通事項を述べており、必見である。

『文化的アイデンティティの試練〜アイルランドと沖縄の経験〜』
https://okiu1972.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=663&file_id=19&file_no=1&nc_session=lob2fheu9rcpekc0tl2b8us5m2

 また、アイルランドと八重山との音楽性について言及すると、白保村出身の大島保克さんが製作したアルバム「島めぐり Island Journey(2005)」に収録されている「イラヨイ月夜浜」では、アイルランドの有名なグループのALTANが参加している。(大島さんは本作リリース後、来日したアイルランド大統領の前でも演奏を披露した)

https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A013224/VICL-61626.html

 このように、映画「タイタニック」から広がった世界の民族音楽は、今でも僕の心を惹きつけてやまない。しかし、そういった観点を踏まえて客観的に八重山民謡を見てみると、これがまた興味深いのである。ユンタジラバの世界はいうまでもなく、流派や会派ごとに演奏や節回しが異なり、舞踊に至るまで様々である。この小さな八重山諸島の中でも、更に多様性があるのである。

 特に紹介したいのが、僕が一番大好きな八重山民謡の一つで、広く知られている沖縄民謡でもある「月ぬ美しゃ」である。白保村出身の横目博二・貞子先生による解説と素晴らしい演奏が、石垣市公式観光情報チャンネルYouTubeページにアップされている。なお、この曲もまた地域によって異なる歌い方があることが解説で説明されているので、是非こちらをご覧頂きたい。

 こうしてみると、八重山諸島の文化、そしてこれらを何世代にもわたり現代へと受け継いできた先人達に想いを馳せると、見えてくるのは人々の生活の営みである。親が子に歌い継いできたように、墓前で先祖に語りかけてきたように、祝い事があれば喜びを、辛いことがあれば悲しみを、そして離島という厳しい生活環境を通じて、来たるべき島の未来へと文化を託し、自然の神々に祈りを捧げてきた。まさに「来夏世」というこの島の精神文化の結晶こそが、八重山民謡であり、島人の真のアイデンティティなのではないだろうか。

※「来夏世(くなつゆ)」(島の方言で「次の夏も豊穣(世)であるように願う」という意味。)

【アイルランドの風景】(2016年12月訪問)
dublin temple bar street
アイリッシュパブが軒を連ねるダブリンでも人気の観光スポット、テンプルバー通り

アイリッシュ民謡の代表曲「WILD ROVER」(著者アイルランド訪問時のアイリッシュパブでの撮影)

若者らによるセッションも夜な夜な繰り広げられている(著者アイルランド訪問時のアイリッシュパブでの撮影)